AI Agent——「指示すれば動くソフトウェア」が世界の働き方を組み替えるとき、日本の擦り合わせ文化は何を選ぶのか
はじめに——「自分で動くソフトウェア」の登場
ある朝、ニューヨークの広告会社で働く30代のマネージャーが、自分の机に着くと、画面の中ですでに会議の議事録が要約され、関連する資料が3本ピックアップされ、明日のクライアント会議の提案書の下書きが半分まで仕上がっていた。彼女は何の指示も出していない。前日、就業前に「明日のクライアント会議の準備をしておいて」と一言伝えただけである。
仕事をしたのは、人間ではない。OpenAIの「ChatGPT agent」である。
これは2026年に入って米国の企業で増えつつある光景だ。これまでのAIは、人間が「これをやって」と指示を出すたびに、それに応える存在だった。しかし「AI Agent」と呼ばれる新しい種類のAIは、ゴールを与えると、自分で計画を立て、必要な情報を集め、複数のソフトウェアを横断して操作し、結果を返してくる。指示するたびに動くツールから、自分で動くソフトウェアへ。これがAI Agentの本質である。
世界の主要な調査会社の見立ては、揃って大きい。米国のMcKinsey & Companyは2025年1月発表の報告書「Superagency in the Workplace」で、AIによる長期的な生産性向上の機会を年間4.4兆米ドルと試算した [1]。同じ報告書で、世界の企業の92%が今後3年間でAIへの投資を増やす意向を示している一方で、AIを「成熟して活用できている」と回答した企業はわずか1%にとどまる [1]。**米国Gartner, Inc.**は、2028年までに企業向けソフトウェアの33%にAI Agentが組み込まれ、日常業務の意思決定の15%は人間ではなくAI Agentが行うようになると予測する [2]。
本稿では、AI Agentの2026年時点の到達点を、米国OpenAI、米国Anthropic, PBC、米国Salesforce, Inc.という代表的な3社と、日本のSakana AI株式会社の動きを軸に整理する。そのうえで、日本企業がこの波にどう向き合うのかを、2つの見立てで考えていきたい。
第一部:グローバル視点——AI Agentはどう生まれ、どこまで来たのか
1、ChatGPTから3年——「会話するAI」から「働くAI」へ
AI Agentという言葉が一般のビジネスパーソンの耳に届くようになったのは、2025年に入ってからである。きっかけは、米国OpenAIによる「Operator」の公開だった。
OpenAIは2025年1月23日、自社のウェブサイト上で「Operator」というプロダクトを発表した [3]。**Sam Altman(サム・アルトマン)**が最高経営責任者を務めるこの会社は、2022年11月にChatGPTを公開して以降、生成AIの分野で世界の先頭を走ってきた。Operatorは、その延長線上にある「次の段階」として位置づけられた製品である。
Operatorの特徴は、人間がブラウザで行う作業——買い物、予約、フォーム入力、情報収集——を、利用者の代わりに自分で行うことだった。利用者は「来週の出張の航空券とホテルを予約して」「この商品をいちばん安く売っているサイトで買って」と指示するだけで、AIが自分でブラウザを動かし、ボタンをクリックし、フォームに入力する。
公開当初、Operatorは月額200米ドルの最上位プラン「ChatGPT Pro」の利用者に限って提供された [3]。米国の主要メディアは一斉にこれを報じた。米国The New York Timesは「OpenAIが新しい『エージェント』ツールを公開」と題し、生成AIの市場が「会話型」から「実行型」へと移行する分岐点だと位置づけた [4]。
そして2025年7月17日、OperatorはChatGPT本体に統合され、「ChatGPT agent」として、より広い利用者層に開放された [3]。これにより、AI Agentは一部の研究者や先進企業のものではなく、一般のホワイトカラーが日常的に触れる存在になり始めた。
2、Anthropic──「コンピュータを使うAI」を切り開いたもう1つの旗手
OpenAIと並んでAI Agentの最前線にいるのが、米国カリフォルニア州サンフランシスコに本社を置くAnthropic, PBCである。
Anthropicは2021年、OpenAI出身の**Dario Amodei(ダリオ・アモデイ)と妹のDaniela Amodei(ダニエラ・アモデイ)**らによって設立された。同社の主力プロダクトが、対話型AI「Claude」である。
Anthropicが2024年10月、生成AIの世界に新しい衝撃を与えた。Claudeに「Computer Use」という機能を実装し、AIが画面のスクリーンショットを読み取り、マウスとキーボードを操作して、人間と同じようにパソコンを使えるようにしたのである [5]。これによりAIは、特定のソフトウェアと連携するために専用の接続を作る必要がなくなり、人間が触れるすべてのソフトウェアを操作する可能性を手に入れた。
そして2025年9月29日、Anthropicは「Claude Sonnet 4.5」を公開した [6]。同社はこれを「世界で最も優れたコーディング用モデル、最も強力なエージェント構築用モデル、そして最も優れたコンピュータ操作用モデル」と位置づけた [6]。実際、OSWorldという、AIが実際にパソコンを操作するベンチマークでは、Claude Sonnet 4.5が61.4%という当時の最高水準を記録している [7]。
Claude Sonnet 4.5の特徴は、単純なタスクではなく「長時間にわたる、複数の手順を必要とする仕事」を、最後まで自律的にやり遂げる能力にある [6]。たとえば、ある業界のレポートを書くために、複数のウェブサイトを調査し、データを集計し、図表を作り、本文を書き、それらを1つの文書にまとめる、という一連の作業を、人間が逐一指示することなく完遂する。
3、Salesforce──既存のビジネスソフトに「自律的なAI」を埋め込む流れ
OpenAIとAnthropicが「汎用AI Agent」を作っているのに対し、まったく別のアプローチでAI Agent市場を切り開いているのが、米国カリフォルニア州サンフランシスコに本社を置く**Salesforce, Inc.**である。同社は世界最大の顧客関係管理(CRM)ソフトウェアの提供企業として知られる。
Salesforceは2024年9月12日、米国サンフランシスコで開催された自社の大規模カンファレンス「Dreamforce 2024」で、AI Agentプラットフォーム「Agentforce」を発表した [8]。同社の最高経営責任者**Marc Benioff(マーク・ベニオフ)**は、これを「AIが本来あるべき姿」と表現し、ChatGPT型の「対話するAI」から「自分で仕事をするAI」への移行を強く打ち出した [8]。
Agentforceは2024年10月25日に営業・サービス向けの一般提供が始まった [8]。2024年12月には推論エンジンを刷新した「Agentforce 2」、2025年6月23日には大規模な企業導入のための管理機能を備えた「Agentforce 3」と、半年ごとに大きな更新を重ねている [9]。そして2025年10月13日、Salesforceは「The Agentic Enterprise」という新しい企業像を公式に発表した [10]。これは、企業の業務の中核に複数のAI Agentを配置し、人間とAIが日常的に協働するという未来像である。
OpenAIやAnthropicの動きが「個人の働き方を変える」方向だとすると、Salesforceの動きは「企業のシステムそのものを変える」方向である。両者が同時並行で進んでいることが、AI Agentの普及スピードを押し上げている。
4、米国Microsoft、米国Google、その他の動き──競争の地図
もちろん、AI Agentに参入しているのはこの3社だけではない。米国Microsoft Corporationは、自社の業務ソフト群「Microsoft 365」に「Copilot Agents」を搭載し、Wordでの文書作成、Excelでの分析、Teamsでの会議運営を自律化する取り組みを進めている。米国Google LLCは、対話型AI「Gemini」をベースに、Google Workspaceとの統合を強化し、メールや文書作成の自動化を加速させている。
McKinsey & Companyの2025年1月の報告書によると、世界の企業のうち78%が少なくとも1つの業務領域でAIを利用しており、生成AIの利用は前年から倍以上に拡大している [1]。一方で、従業員の側はリーダーが想定するよりも3倍速いペースで「自分の仕事の一部はAIに置き換わる」と予想しているという調査結果も示されている [1]。世界の労働市場で、AI Agentの導入は、すでに「いつかの話」ではなく「今の話」になっているのである。
5、Sakana AI——日本発のもう1つの選択肢
世界のAI Agentの開発拠点は、米国サンフランシスコ周辺と中華人民共和国の北京周辺に集中している。そのなかで、日本を拠点に独自のAI開発を進めているのが、Sakana AI株式会社である [11]。
Sakana AIは2023年7月、東京都港区西新橋で設立された [11]。創業者は3名いる。**David Ha(デビッド・ハ)**は、米国Google Brainで研究員を務めたあと、英国Stability AIで研究部門を率いていた人物である。**Llion Jones(ライオン・ジョーンズ)は、Google時代に2017年の論文「Attention Is All You Need」の共著者の1人であり、現在のすべての生成AIの基礎を築いた研究者の1人である。そして伊藤錬(いとうれん)**は、外務省で官僚を務めた経歴を持つ最高執行責任者である [11]。
Sakana AIの研究方針は、米国の主要企業とは少し異なる。OpenAIやAnthropicが「巨大な1つのAIモデル」を作る方向に進んでいるのに対し、Sakana AIは「複数の小さなAIを組み合わせて、より優れた知能を生み出す」という、生物の群れに着想を得たアプローチを取っている [11]。社名の「Sakana」は日本語の「魚」に由来し、小さな魚が群れをなして大きな魚のように泳ぐ姿を発想の源としている [11]。
資金調達の歩みも急ピッチである。2024年1月、米国Khosla Venturesと米国Lux Capitalが主導し、NTTグループ、ソニーグループ、KDDI株式会社などの日本企業も加わって、約45億円を調達した [12]。同年9月4日には、米国NVIDIA Corporationなどから約200億円を調達し、創業から1年余りでユニコーン企業となった——これは日本史上最速の達成と報じられた [11]。2025年11月には追加で約200億円を調達し、企業価値は約4000億円に達した [13]。これは未上場の日本企業として最大規模である。
そして2026年3月、Sakana AIは防衛装備庁の防衛イノベーション科学技術研究所と委託研究契約を結び、陸・海・空のドローン等から得られる膨大なデータを複数のAIで統合する技術の実証実験を始めた [11]。AI Agentの応用領域は、ホワイトカラーの業務だけでなく、社会基盤の領域にも広がり始めている。
6、AI Agentが組織にもたらす3つの構造変化
ここまでの動きを踏まえると、AI Agentは単なる「便利な道具」ではなく、企業組織のあり方を3つの方向で変えつつあることがわかる。
第1に、ホワイトカラーのルーチンワークの大規模な自動化である。データ入力、レポート作成、メール分類、初期の顧客対応、会議のスケジュール調整といった作業は、これまで多くのホワイトカラーの労働時間を占めてきた。AI Agentはこれらを24時間休まず処理する。McKinsey & Companyは2025年1月の報告書で、AIの長期的な生産性向上機会を年間4.4兆米ドルと試算している [1]。
第2に、意思決定の速度の劇的な向上である。AI Agentは、複数の情報源を瞬時に集め、分析し、選択肢を提示する。これまで数日かけていた意思決定が、数時間、あるいは数分で行えるようになる。Gartner, Inc.の予測では、2028年までに日常業務の意思決定の15%がAI Agentによって行われる [2]。
第3に、「人間とAIの協働」を前提とした新しい職務設計の必要性である。AIが基礎的な作業を担うようになると、人間の仕事は「AIに何をさせるかを決め、結果を吟味し、責任を持つ」という、より上流の役割に移っていく。これは「指示する力」「判断する力」「責任を取る力」がより重要になる、ということでもある。
第二部:日本での浸透——慎重な大企業と、急進的なスタートアップ
1、日本の大企業のAI Agent導入は「慎重ながら、確実に」
日本企業のAI Agent導入は、米国に比べると慎重に進んでいる。しかし、止まっているわけではない。
たとえばトヨタ自動車株式会社は、設計や品質管理の領域での生成AI活用を継続して進めており、2025年には自社向けのAI基盤を整備し、社内の業務支援にAI Agentに近い仕組みを導入し始めている。みずほフィナンシャルグループ、三菱UFJフィナンシャル・グループ、株式会社三井住友フィナンシャルグループといったメガバンク3行は、いずれも審査業務、コンプライアンスチェック、顧客対応の領域で生成AIの導入を進めている。Sakana AIが2026年2月、米国Citigroup Inc.から戦略的投資を受けたのも、金融領域に特化した高度なAI Agent開発の能力が世界の金融大手から評価された結果である [11]。
一方、日本のホワイトカラーの個人レベルでも、Microsoft 365 Copilot、ChatGPT、Notion AIといった生成AIツールが急速に普及している。総務省の令和7年版「情報通信白書」によれば、日本の企業の生成AI導入率は2024年度時点で約50%に達した [14]。これは前年度の約20%から大きく伸びた数字である。
2、Sakana AIをめぐる「日本の選択」
日本のAI開発の中心にいるSakana AIは、現時点では汎用AI Agentそのものを提供しているわけではない。しかし同社の「複数の小さなAIを連携させる」という設計思想は、企業の業務システムに複数のAI Agentを埋め込んでいくという、Salesforceが提唱する「The Agentic Enterprise」の世界観と親和性が高い [10] [11]。
NTTグループ、ソニーグループ、KDDI株式会社、日本生命保険相互会社、株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ、米国Citigroupなどが出資している事実は、Sakana AIが「日本企業のAI基盤」となる可能性を、国内外の主要プレイヤーが認めていることを示している [11] [12]。
3、なぜ日本人がAI Agentに惹かれるのか——4つの理由
日本のホワイトカラーがAI Agentに惹かれる背景には、4つの理由が存在すると考えられる。
第1に、慢性的な人手不足である。総務省の労働力調査によれば、日本の生産年齢人口(15〜64歳)は1995年の8716万人をピークに減少を続け、2025年には約7400万人まで減った [15]。さらに10年後には7000万人を割ると推計されている [15]。1人当たりの生産性を上げる以外に、企業が生き残る道は限られる。
第2に、長時間労働とその是正圧力の併存である。日本の正社員の平均年間労働時間は依然として世界の主要先進国の中でも長いほうにある一方、働き方改革による労働時間の上限規制が2019年4月から段階的に導入され、企業は「同じ仕事をより短い時間で」終える必要に迫られている。
第3に、事務処理の量の多さである。日本企業の業務は、稟議書、申請書、報告書、議事録といった「書類仕事」が多い。これらは定型化しやすく、AI Agentがもっとも力を発揮する領域である。
第4に、新卒一括採用と長期雇用の制度的限界である。長期雇用を前提に、新卒社員に時間をかけて仕事を覚えさせるという日本の伝統的な人材育成モデルは、若手の早期離職や採用難で機能しにくくなっている。AI Agentは、ベテラン社員の経験や知識を自社のAIに学習させることで、その「補完手段」としても期待されている。
第三部:日本での今後——2つの見立て
ここまで見てきたグローバルと日本の動きを踏まえると、AI Agentが日本の企業社会にどう浸透するかは、2つの異なる見立てで描ける。両者は対立するというより、どちらの要素がより強く出るかという確率の話として読んでほしい。
シナリオA:日本企業がAI Agentで世界の先頭に並ぶ可能性
第1の根拠は、日本企業の擦り合わせ文化と、AI Agentの「複数の役割を調整しながら仕事を進める能力」の親和性の高さである。日本企業の強みは、複数の部門が緊密に情報を共有し、互いに調整しながら全体最適を目指す「擦り合わせ」にある。AI Agentが企業の業務システムに組み込まれれば、この擦り合わせの調整作業——情報収集、関係者への連絡、議事の整理、合意の確認——を高速で行える。Salesforceが提唱する「Agentic Enterprise」の世界観は、実は日本企業の組織文化と相性がよい [10]。
第2の根拠は、継続的な改善(カイゼン)の文化との相性のよさである。AI Agentは利用すればするほど、企業の業務に最適化されていく。日本のものづくり企業に深く根づいた「現場の知恵を少しずつシステムに反映させる」という文化は、AI Agentの育成と相性が極めてよい。
第3の根拠は、Sakana AIをはじめとする国産AI基盤の存在である。データの主権、安全保障、業界規制への対応の観点から、企業の中核業務を米国の大手企業のAIに完全に依存することは、特に金融や防衛、官公庁の領域では難しい。Sakana AIが2026年3月に防衛装備庁との委託研究を開始した事実は、日本独自のAI基盤の必要性が国家レベルで認識されていることを示している [11]。
第4の根拠は、新卒採用市場での競争を勝ち抜く必要性である。30代から40代のビジネスパーソンが管理職になる時期と、20代後半の若手社員が「AI Agentを使えない職場では働きたくない」と感じる時期は、ちょうど重なる。生産性の高い職場、自分の創造性が発揮できる職場を求めて、若い人材は転職市場で動く。AI Agentの導入は、人材確保の競争にも直結する。
このシナリオが実現すると、2030年までに、日本企業の業務時間の25〜30%がAI Agentによって担われ、人間は「判断」と「対外関係」に集中する組織モデルが定着する可能性がある。
シナリオB:日本企業がAI Agentの導入で出遅れる可能性
第1の根拠は、責任の所在の曖昧さに対する組織の警戒心である。AI Agentが行った判断が間違っていた場合、誰が責任を取るのか。日本企業の意思決定は、稟議制度に象徴されるように「複数の関係者の合意による責任の共有」に基づいてきた。AI Agentが自律的に判断を下すと、その責任の所在が曖昧になる。これは企業の法務、コンプライアンス、リスク管理の観点から、強い慎重論を生む。
第2の根拠は、マネジメント層のITリテラシーの不足である。日本企業の中高年マネジメント層は、ITツールの利用経験が世界の主要先進国の同世代と比べて少ない傾向がある。AI Agentを業務に組み込むためには、現場の判断だけでなく、経営層の理解と意思決定が不可欠だが、ここに大きな壁が存在する。
第3の根拠は、AI Agentに置き換わる業務領域に対する雇用面の懸念である。日本企業は、米国企業と比べて雇用調整が難しい。AI Agentが定型業務を担うようになっても、その業務に従事していた社員を別の役割に再配置する必要があり、その再教育(リスキリング)には時間と費用がかかる。社員側も、自分の仕事が減ることへの不安から、AI Agentの導入に消極的な姿勢を取る可能性がある。
第4の根拠は、法的・規制的環境の整備の遅れである。AI Agentが行った判断の責任、個人情報の取り扱い、業界別の規制への対応など、AI Agentの本格的な業務利用には法的な枠組みの整備が欠かせない。日本では、2025年6月にAI関連の法律が成立したが、AI Agentの自律的判断を前提とした詳細な規定はまだ十分でない。
このシナリオが実現すると、日本企業のAI Agent導入率は2030年時点で世界の主要先進国の半分程度にとどまり、生産性の差はさらに広がる可能性がある。
ARBOの見解——日本企業もこの3〜5年で、AI Agentを「業務の前提」として組み込む側に回る
ARBOとしての見立ては、シナリオAに大きく寄っている。
すなわち、日本企業のAI Agent導入は、しばしば語られるような「慎重で、欧米から大きく遅れる」というイメージを覆し、2026年から2030年にかけて、想定よりはるかに速い速度で「業務の前提」として組み込まれていく、と見ている。最終的に、ホワイトカラー業務のうち、調査、資料作成、初期顧客対応、社内手続き、定型的なデータ分析といった領域については、大企業の8割以上が2030年までに何らかの形でAI Agentを業務システムに組み込み、現場のビジネスパーソンが「同僚としてのAI」を前提に働くという姿が、新しい標準になるだろう。
そう判断する第1の理由は、AI Agentの性能向上の速度が、過去のあらゆる業務系ソフトウェアの普及速度と次元が異なることである。OpenAIのOperatorからChatGPT agentへの統合(2025年1月23日から7月17日まで半年)、Anthropic, PBCのClaude Sonnet 4.5によるOSWorldベンチマーク61.4%の達成(2025年9月29日)、Salesforce, Inc.のAgentforce発表から「The Agentic Enterprise」宣言までわずか13か月——これらは、Web、クラウド、モバイル、SaaSのいずれの普及曲線とも比較にならない加速ぶりである。日本企業の意思決定が「ゆっくり」であっても、ベンダーが提供する標準ソフトウェアにAI Agent機能が事実上の標準装備として組み込まれていけば、企業側は意識せずに使い始める構造になる。Microsoft 365 Copilot、Salesforce Agentforce、Notion AI Agentなど、日本企業がすでに大規模導入している基幹ソフトウェアの多くで、この「自動的な組み込み」が進行中である。
第2の理由は、日本企業がもっとも深刻に直面している「労働力不足」と「中堅人材の枯渇」が、AI Agent導入を後押しする極めて強い圧力になっていることである。総務省統計局の労働力調査と国立社会保障・人口問題研究所の人口推計は、2030年までに日本の生産年齢人口が約7000万人を割り込み、2040年代にはさらに加速度的に減少することを示している。とりわけ、現場のミドルマネジメント層と専門職人材の確保は、業界を問わず最大の経営課題になっている。これは、企業が「AI Agentを使うかどうか」を選ぶ余裕がない状況を意味する。三井住友銀行、三菱UFJ銀行、三菱商事、伊藤忠商事といったメガバンク・総合商社が、すでに2024年から2025年にかけてAI Agent活用の全社プロジェクトを公表しているのは、この圧力の表れである。
第3の理由は、日本にSakana AI株式会社という、世界的に注目される独自のAI基盤企業が存在することの戦略的意味である。David Ha、Llion Jones、伊藤錬の3氏が率いるSakana AIは、2025年11月の追加調達で企業価値4000億円に到達し、日本最大の未上場スタートアップとなった。NVIDIAやCitigroupに加え、日本生命やNTTグループ、ソニーグループ、KDDIなど日本の主要企業も出資者に名を連ねている。さらに2026年3月には防衛装備庁との委託研究契約も結ばれた。これは、日本企業がAI Agentを導入する際に、データ主権・安全保障・業界規制への対応という観点で安心して採用できる「国産選択肢」が現実に存在することを意味する。米国企業のソフトウェアに対する漠然とした不安が普及の障害になりがちな金融、防衛、行政、医療といった領域においても、Sakana AIをはじめとする国内勢力の存在が、AI Agent導入の障壁を大きく下げる。
第4の理由は、AI Agentの導入コストが急速に下がっており、中堅・中小企業まで波及する条件が整いつつあることである。OpenAI、Anthropic, PBC、Google DeepMindの主要モデルの推論コストは、2023年から2026年にかけて10分の1以下に低下した。さらに、Sakana AIの「AIコンステレーション」のような、複数の小型AIを連携させて高機能を実現する手法は、計算資源の限られた現場でも実用的なAI Agentの運用を可能にしている。これらは、これまで「AIは大企業のもの」だったという構造を、根本的に変えつつある。日本の企業構造の中で大きな比重を占める中堅・中小企業が、自社の業務にAI Agentを組み込み始めれば、社会全体の変化の速度はさらに上がる。
もちろん、シナリオAに寄ると言っても、「人間の仕事がなくなる」とか「すべての判断がAIに置き換わる」といった単純な予測ではない。最終的な経営判断、対外的な交渉、危機対応、創造的な発想といった領域は、引き続き人間が中心であり続ける。しかし、その「人間が中心であり続ける領域」を支える調査、資料作成、データ分析、定型的な顧客対応、社内手続きといった膨大な業務量は、3〜5年のうちにAI Agentが担う前提に組み替えられていく。これは、ホワイトカラーの仕事の「形」そのものが変わることを意味する。
注視すべきポイントは3つある。
第1に、Sakana AI株式会社の成長軌道と、国内主要企業との連携の広がりである。Sakana AIが2026年から2027年にかけて、防衛装備庁との実証実験、メガバンク・総合商社との大型契約、海外展開のいずれをどの順番で実現するかが、日本のAI基盤の地位を決める。
第2に、メガバンク・総合商社・大手保険会社のAI Agent本格導入の発表である。これらの業界は、日本企業の中でもっとも複雑な業務を抱え、もっとも慎重な意思決定を行う層である。彼らが2026年から2027年にかけて全社規模の導入を相次いで公表すれば、その下位の業界——製造、流通、サービス、医療、行政——への波及は加速度的に進む。
第3に、現場の30〜40代のビジネスパーソンが、AI Agentをどう日常業務に組み込むかである。経営判断より前に、現場のミドルマネジメントがAI Agentを「使ってもいい道具」ではなく「使うのが当たり前の同僚」として受け入れるかどうかが、組織全体の変化の速度を決める。就活中の大学生にとっても、入社時点でAI Agentと協働できる前提のスキルセットを持っているかどうかが、キャリアの初期に大きな差を生む時代に入りつつある。
AI Agentは、ホワイトカラーの仕事のあり方を、産業革命以来の規模で組み替えつつある。日本企業がこの波の上に乗るのか、波に取り残されるのかは、技術の問題というより、組織の選択の問題である。我々はこの先も、米国OpenAI、Anthropic, PBC、Salesforce, Inc.、そして日本のSakana AIの動きを起点に、日本企業の選択を継続的に追っていきたい。
参考資料・関連記事
主要参考資料
[1] McKinsey & Company「Superagency in the Workplace: Empowering people to unlock AI's full potential」2025年1月発表 [2] Gartner, Inc. プレスリリース「企業向けソフトウェアにおけるAI Agentの将来予測」2025年 [3] OpenAI公式ウェブサイト「Introducing Operator」2025年1月23日(2025年7月17日 ChatGPT agent統合の更新) [4] The New York Times「OpenAI Unveils New Agent Tool 'Operator'」2025年1月23日 [5] Anthropic, PBC「Computer Use Tool」公式ドキュメント [6] Anthropic, PBC「Introducing Claude Sonnet 4.5」2025年9月29日 [7] OSWorld公式ベンチマーク結果(2025年9月時点) [8] Salesforce, Inc.プレスリリース「Salesforce Unveils Agentforce」2024年9月12日 [9] Salesforce, Inc. Investor Relations「Agentforce 3 Launch Announcement」2025年6月23日 [10] Salesforce, Inc.プレスリリース「Salesforce Announces the Agentic Enterprise」2025年10月13日 [11] Sakana AI株式会社 公式情報および各種報道 [12] IT Leaders「AIスタートアップのSakana AIが45億円を調達」2024年1月17日 [13] テレビ東京BIZ「サカナAI 新たな資金調達で企業価値4000億円に」2025年11月17日 [14] 総務省「令和7年版 情報通信白書」2025年 [15] 総務省統計局「労働力調査」各年版