隠居という制度——日本人はどう「働くのをやめた」か
AIが労働を肩代わりし、人が「働かない時間」をどう生きるかが問われる時代。だが日本社会には、働くことから降りた人生の後半を設計する仕組みが、古くから存在した。「隠居(いんきょ)」である。家督を譲り、第一線を退いた後の人生を、江戸の人々はどう位置づけたのか。「脱労働の作法」を訪ねる。
家督を譲り、一線を退く
隠居とは、家の当主が家督(家の財産と地位)を後継者に譲り、第一線の役割から退くことである。江戸時代、武家でも商家でも農家でも、当主は一定の年齢や時機に達すると、家督を子や養子に譲って隠居した。家の経営や対外的な責任は後継者に移り、隠居した者は重い務めから解放された。
重要なのは、隠居が単なる「引退」ではなく、制度として家のなかに組み込まれていたことだ。隠居後の住まい(隠居所)や、生活を支える財産(隠居料・隠居分)が用意されることも多く、退いた後の暮らしが社会的に保障されていた。働き続けることが当然とされた時代に、「働くことから降りる」ための仕組みが、きちんと設計されていたのである。
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