米将軍・吉宗の相場政策——「価格を操る」国家の試み

市場が暴落したとき、国家はどこまで介入すべきか。中央銀行による資産買い入れ、株価指数の下支え、取引の一時停止——現代の市場安定化策をめぐる議論は尽きない。この「価格を操る国家」という難題に、八代将軍・徳川吉宗(とくがわ・よしむね、1684--1751)は三百年前、真正面から取り組んでいた。米相場の安定に心血を注ぎ、「米将軍」「米公方(こめくぼう)」と呼ばれた男の経済政策を訪ねる。

なぜ将軍が「米の値段」に苦しんだのか

江戸幕府と武士の経済は、米を基盤としていた。武士の俸禄は米で支給され、それを売って貨幣に換えて暮らす。つまり米価が下がれば、武士の実質収入は減り、幕府の財政も苦しくなる。一方で米価が上がりすぎれば、庶民の生活が立ち行かなくなる。米の値段は、まさに国家経済の体温計だった。

吉宗の時代、しばしば「米価安の諸色高(しょしきだか)」という現象が起きた。米だけが安く、他の物価は高いという、武士にとって最悪の組み合わせである。豊作が続けば米は余って値が下がり、俸禄で暮らす武士の生活を直撃した。米の値段をいかに適正な水準に保つか——これが吉宗を悩ませ続けた中心課題であり、彼が「米将軍」と呼ばれた所以だった。


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