御用聞き——AIエージェントが呼び戻す、消えた訪問営業
カテゴリー:世界と日本 | シリーズ:先端ビジネスとそのルーツ | 著者:ARBO編集部
はじめに——注文が生まれる前に、御用聞きは動いていた
昭和の町では、酒屋や米屋の店員が毎朝同じ路地を回っていた。勝手口から台所をのぞき、醤油の減り具合を確かめる。客が注文を口にする前に、次の一本を決めてしまう。注文を取りに行くのではない。注文が生まれる前に用意する、それが商いの形だった。
この仕組みは「御用聞き」と呼ばれる。江戸から続く古い商いの型である。だが昭和の後半、この形は町から消えていった。理由は単純だった。一軒ずつ回る人件費が、安売りの店に勝てなくなったからだ。
いま、この費用がほぼゼロになろうとしている。顧客関係管理(CRM)ソフトウェアを手がけるSalesforce, Inc.が売り込む自律型のAIエージェントは、人手を介さずに顧客対応をこなし始めた。回る費用がかからないなら、御用聞きは戻ってくるのか。それとも戻るのは訪問の頻度だけで、勝手口を開けてもらう信用は別の場所に置き去りになるのか。顧客に触れる費用がゼロになったとき、戻ってくるのは関係か、頻度だけか。
第一部:3.2兆トークンが、誰とも顔を合わせずに客をさばいた
1年で3段階、機能を積み上げた
Salesforceは2024年10月、自律型のAIエージェント「Agentforce」を売り出した。人が指示を出すたびに動くチャットボットとは違う。問い合わせの中身を読み、必要な作業を自分で選び、対応まで完結させる仕組みである。
2025年6月には次の版であるAgentforce 3を発表した。同年10月には「Agentforce 360」を一般提供に踏み切り、わずか1年で機能を3段階積み上げたことになる。
9億ドルから600億ドルへ、数字が桁を変えていく
伸びを裏づける数字も大きい。2025年2月26日発表の決算資料によれば、AIを含む「Data Cloud & AI」事業の年間経常収益は9億ドルに達した。前年同期比で120%増である。
同年12月3日発表の第3四半期(FY26)決算では、Agentforceが処理した累計トークン数が3.2兆を超えたと公表された。契約済みで未計上の売上を示すRPOも、約600億ドルまで膨らんでいる。トークンは、AIが読み書きした言葉の量を測る目安にすぎない。それでも3.2兆という桁は、人が回っていた頃には想像できない量の対話を、機械が肩代わりしている事実を示している。
700人分の会話を、1か月でこなした企業
導入企業の実例も数字を裏づける。Salesforceが2025年6月23日に公表したところでは、税務・会計サービスの1-800Accountantは問い合わせの70%を自律で解決した。別の導入先Engineでは、対応にかかる平均時間を15%短縮したという。
先行した例は、決済サービスを手がけるKlarna Bank ABにも見える。この企業は、AI開発企業のOpenAI, Inc.と組んで作ったAIアシスタントを2024年2月に動かし始めた。稼働から1か月で230万件の会話をこなし、これはフルタイム従業員700人分の仕事量に相当した。対応の解決時間も、11分から2分未満へ縮んだ。
8割が無人化する、という予測の先に
顧客サービスやIT市場を調査するGartner, Inc.の見立ては、さらに先を示す。2025年3月5日の発表では、2029年までに一般的な顧客サービス問題の80%が人手を介さず解決され、運用コストは30%下がると予測した。
この数字は孤立していない。2024年12月11日の発表では、2028年までにFortune500企業の30%がAI対応の単一チャネルだけでサービスを提供するようになるとした。2025年8月26日の発表も同じ方向を示す。タスクに特化したAIエージェントを組み込む企業アプリの割合は、2025年時点で5%未満にとどまる。この割合が、2026年末までに40%へ広がると見積もっている。
顧客対応は「会話から始まり、会話で終わる」導線に変わりつつある。人を介さない接触が、当たり前の姿になろうとしている。
第二部:御用聞きを終わらせたのは、客が自分で棚から取る店だった

台所を覗いて、注文が出る前に決めていた男たち
「御用聞き」の呼び名は古い。1714年の浄瑠璃『鑓の権三重帷子』にすでに、得意先を回って注文を取る商人を指す語として登場する。この語は江戸時代から昭和期にかけての時代を描いた作品にも多く登場しており、酒屋の御用聞きとしては漫画・アニメ『サザエさん』の三河屋・三郎が代表例に挙げられる。
江戸の商家では、手代や小僧が得意先の家を定期的に回っていた。注文はその場で聞くだけではない。季節の需要や台所の減り具合を先に読み、客が言い出す前に次の品を提案する。これが御用聞きの本体だった。代金は盆や暮にまとめて受け取る掛売りとし、配達まで請け負った。問屋から小売、客へと続く流通の網は、この「回る人」がつないでいた。情報も信用も、足で運ばれていたのである。
千林の商店街で、棚から自分で取らせた男
この仕組みを終わらせたのが、中内㓛(なかうちいさお、1922年〜2005年)である。実家の薬局を経て、1957年、大阪・千林駅前に「主婦の店ダイエー」を開いた。
それまでの店は、店員が客の家を回って注文を聞いていた。中内の店はこの順番を逆にした。客が自分で棚から商品を取り、レジに並ぶ。人が運んでいた関係を、値段の安さへと置き換えたのである。
同じ流れは他の店にも起きていた。1953年には東京・青山の紀ノ国屋が、日本で初めてセルフサービス方式の食料品店へ業態を変えている。1974年には東京・豊洲に日本初のセブン-イレブンが開業した。経営者はもともと酒販店を営んでいた山本憲司であり、酒販業からコンビニ経営へ転業した人物だった。
「回る」から「来てもらう」への反転
酒屋・米屋・味噌屋は、昭和に入っても御用聞きを続けていた。それを止めたのが、こうした一連のセルフサービス化である。商いは「回る」から「来てもらう」へと反転した。
消えた理由は、関係そのものが不要になったからではない。一軒ずつ回る人件費と時間が、安売りと24時間営業に勝てなくなっただけである。台所をのぞく信用そのものは、否定されたわけではなかった。
| 世界側(AIエージェント) | 日本側(御用聞き) | |
|---|---|---|
| 接触の起点 | データを読んでの先読み | 台所の減り具合を目で見る先読み |
| 接触の費用 | ほぼゼロ(自動処理) | 人件費と移動の時間 |
| 信用の置き場所 | 顧客データへのアクセス権 | 勝手口を開けてもらえる関係 |
| 消えた/揺らぐ要因 | 難しい案件での揺り戻し(Klarna) | セルフサービス化との人件費競争 |
回る仕組みそのものより、何が信用を支えていたかに目を向けると、両者の違いがはっきり見える。
第三部:回る頻度は戻る。だが勝手口から台所は見えるのか

限界費用ゼロが、訪問という形を呼び戻す
顧客に触れるたびの費用が下がれば、下がった分だけ接触は増やせる。江戸の手代が一軒ずつ足で回っていた頃、訪問の回数は人件費に縛られていた。AIエージェントが対応の大半を引き受けるいま、この縛りは薄れつつある。
Gartnerが描く「会話から始まり会話で終わる」導線は、実は御用聞きの構造に近い。客が動く前に、企業の側から接触を仕掛ける発想だからである。巡回の限界費用がゼロに近づけば、訪問型の接触は再び経済合理的になる。
信用は自動化の外に残る
ただし御用聞きの核心は、訪問の回数ではなかった。勝手口を開けてもらえる信用こそが本体だった。台所に入れてもらえるかどうかは、値段では買えない。
いま、この信用に当たるものは顧客データへのアクセス権に置き換わりつつある。Salesforceが売り込むData Cloudのような基盤は、企業が顧客の情報にどこまで触れられるかを左右する仕組みである。頻度は技術で戻せても、この入り口を開けてもらえるかどうかは別の問題として残る。
Klarnaの経緯は、この境目をよく示している。稼働1か月で230万件を処理したと胸を張った翌年、2025年5月には人間の担当者を採用し直したことが報じられた。頻度は自動化で取り戻せても、難しい案件で必要になる信用までは、自動化では作れなかった。
富山の置き薬が教えるもの
2026年3月31日のGartner予測はこうだ。2028年までに顧客サービス組織の50%超が、人員を減らさずに技術投資を倍増させる。約80%が担当者の一部を新しい役割へ移し、84%がフロントラインに新しいスキルを足す見通しだという。定型の巡回は機械へ渡し、判断は人に残す。この再配置が起き始めている。
日本には、接触の自動化を信用の設計として考えるヒントがもう一つある。富山の置き薬である。薬を先に客の家へ預け、使った分だけあとから代金を受け取る「先用後利」と呼ばれる仕組みは、江戸時代後期に確立され、客先への定期訪問によって使用状況を確認し、消費分を計算して代金を請求する形で機能していた。接触の頻度と信用の置き場所を分けて考える発想は、この仕組みにすでに埋め込まれていた。
ARBOの見解——復活するのは御用聞きの前半分だけだ
顧客対応の未来には、少なくとも三つの筋道が描ける。
一つ目は、Gartnerの想定通りに進む筋道である。2029年までに定型対応の8割が無人化し、人は例外処理と関係づくりに専念する。接触の頻度は、昭和の御用聞きを上回るところまで戻るだろう。
二つ目は、Klarna型の揺り戻しが標準になる筋道である。AIは最初の受け答えにとどまり、単価が高い案件や感情が絡む案件は人へ戻す。二層構造が、どの企業でも当たり前になる姿である。
三つ目は、業種や単価によって分かれる筋道である。関与の薄い商材はAIに一本化され、関与の深い商材では「AIが回り、人が決める」組み合わせに落ち着く。
ARBO編集部は、二つ目を経て三つ目に近づくと見ている。いま起きているのは御用聞きの復活ではない。その前半分、回る作業だけの復活である。後半分にあたる、勝手口を開けてもらう信用は、自動化だけでは作れない。だとすれば企業が置くべき指標は、自動化率でもコスト削減率でもないはずだ。顧客がデータの提供と次の接触に同意し続ける割合こそ、見るべき数字ではないか。自動化率をKPIに据えた組織は、Klarnaが辿った道を1年遅れでなぞることになりかねない。
注視ポイント——今後12〜24カ月のシグナル
第一に、SalesforceのIR開示が変わるかどうかを見たい。累計トークン数のような処理量の指標から、解決率や再訪率、継続率といった成果の指標へ軸足が移るなら、業界全体が「量」から「質」へ関心を移した証拠になる。
第二に、Klarna以外の大手企業でも人間の再採用が公表されるかどうかである。逆に、自動化率の公表そのものが止まる企業が増えるなら、それもまた一つのシグナルとなる。
第三に、Gartnerが示した2028年・2029年の予測が下方修正されるかどうかを追いたい。あわせて、日本のルートセールス職の求人数や配置転換の動向にも注目する。回る仕事が機械へ、判断が人へと移る再配置は、日本の求人票にも遅れて現れてくるはずである。
参考文献
- Salesforce, Inc. "Salesforce Announces Fourth Quarter and Fiscal Year 2025 Results" SEC EDGAR、2025年2月26日
- Salesforce, Inc. "Salesforce Delivers Record Third Quarter Fiscal 2026 Results Driven by Agentforce & Data 360" SEC EDGAR、2025年12月3日
- Salesforce, Inc. "Salesforce Announces Agentforce 3"、2025年6月23日
- Salesforce, Inc. "Welcome to the Agentic Enterprise: With Agentforce 360, Salesforce Elevates Human Potential in the Age of AI"、2025年10月13日
- Gartner, Inc. "Gartner Predicts Agentic AI Will Autonomously Resolve 80% of Common Customer Service Issues Without Human Intervention by 2029"、2025年3月5日
- Gartner, Inc. "Gartner Predicts that 30% of Fortune 500 Companies Will Offer Service Through Only a Single, AI-Enabled Channel by 2028"、2024年12月11日
- Gartner, Inc. "Gartner Predicts 40% of Enterprise Apps Will Feature Task-Specific AI Agents by 2026, Up from Less Than 5% in 2025"、2025年8月26日
- Gartner, Inc. "Gartner Predicts Over 50% of Customer Service Organizations Will Double Their Technology Spend By 2028"、2026年3月31日
- OpenAI, Inc. "Klarna's AI assistant does the work of 700 full-time agents"
- CX Dive (Industry Dive) "Klarna changes its AI tune and again recruits humans for customer service"、2025年5月9日
- 一般社団法人全国スーパーマーケット協会「協会沿革」
- 紀ノ国屋「おかげさまでスーパーマーケット開業70周年」
- 食品産業新聞社ニュースWEB「セブン-イレブン1号店、1974年5月15日開業」
- 日本経済新聞「5月15日 日本のコンビニの原型 セブンイレブンが開店」
- Weblio辞書「中内功」(デジタル大辞泉ほか)
- 浄瑠璃『鑓の権三重帷子』(1714年)
- 岡本綺堂『半七捕物帳』
- 富山県「富山の置き薬について」
- 日本経済史研究「先用後利と江戸時代の信用商取引」