ファーストリテイリング——山口の小郡商事から世界一のアパレル企業へ
はじめに——世界第2位のアパレル企業
2026年8月期、ファーストリテイリングの連結売上高見通しは3兆9,700億円に上方修正された。スウェーデンのH&Mを約8%上回り、インディテックス(ZARA)に次ぐ世界第2位のアパレル企業となる見込みである。営業利益は5,400億円を超え、営業利益率は13%台を維持する。
成長を牽引するのは海外ユニクロ事業だ。2026年8月期第3四半期累計(9カ月)で売上収益1兆8,340億円(前年同期比25.9%増)、事業利益3,453億円(同45.4%増)と大幅な増収増益を記録している。北米の新旗艦店、欧州の新規出店が奏功し、もはやユニクロは「日本のブランド」ではなく「グローバルブランド」である。
しかし、この巨大企業の源流は、山口県宇部市の商店街にある小さな紳士服店だった。創業者の息子・柳井正が35歳で社長に就任し、「ユニクロ」という新業態を生み出すまでの物語は、日本の小売業史における最も劇的な変容の1つである。
小郡商事——父と子の物語
1949年——宇部の紳士服店
1949年3月、柳井等(やない・ひとし)は山口県宇部市の宇部新川駅前商店街で「メンズショップ小郡商事」を開業した。紳士服の小売店である。柳井等は地元の有力者で、政治にも関わりを持つ人物だった。
当時の宇部は、宇部興産(現UBE)の企業城下町として栄えていた。炭鉱と化学工業で潤う地方都市の商店街で、柳井等は堅実に商売を営んだ。1963年5月、資本金600万円で株式会社化し「小郡商事株式会社」となる。山口県内で数店舗を展開する地方の紳士服チェーンだった。
柳井正の登場——「このままでは先がない」
1949年生まれの柳井正(やない・ただし)は、柳井等の長男である。早稲田大学政治経済学部を卒業後、ジャスコ(現イオン)に入社するが、わずか9カ月で退社。1972年、父の会社・小郡商事に入社する。
しかし入社後の柳井正は、父の経営スタイルに強い違和感を抱いていた。地方の紳士服店は、顧客との個人的関係に依存し、在庫管理も曖昧で、スケーラビリティがない。店員が顧客の好みを覚え、一対一で接客する——それは温かみのある商売だったが、柳井正は「このままでは先がない」と感じていた。
柳井正が感じていた危機感は、1970年代の日本の小売業の構造変化と無関係ではない。大型スーパー(ダイエー、イトーヨーカ堂)の台頭により、地方の商店街は衰退し始めていた。紳士服という限られた市場で、個人商店が生き残る道は細くなる一方だった。
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