キッコーマン——醤油の家から、世界の食卓を握る経営へ

本稿は「企業の源流」シリーズの第二弾として、千葉・野田の8家による醤油醸造の連合体として始まったキッコーマンが、なぜ「日本の調味料」の枠を越えて、米国・欧州・アジアの台所に届くグローバル食品ブランドになり得たのか、その源流を辿る。

スーパーマーケットの調味料棚に置かれた赤キャップの醤油瓶。これが日本のものか、それとも米国スーパーで撮影された一枚かは、見た瞬間には判別できない。それほどまでにキッコーマンは、世界の家庭の調味料として根付いている。

キッコーマン株式会社の 2025年3月期(IFRS)売上収益は7,090億円。同社が公開する「ファクトブック2025」によれば、売上・事業利益とも海外比率は高い水準にある。しかも海外売上の中心は、日系スーパーや日本食レストラン向けではない。米国の一般家庭の台所に置かれた、ローカルブランドのような存在として、キッコーマンの醤油は機能している。

日本の醤油メーカーは戦後、何百社と存在した。にもかかわらず、なぜキッコーマンだけが世界の食卓に届いたのか。本稿では、千葉・野田の8家による連合体として1917年に設立された企業の、136年の経営史を辿る。

第1部 1661年——野田の醤油醸造家、8つの家

キッコーマンの源流は、千葉県野田市にある。江戸時代初期、利根川と江戸川の合流地点に位置する野田は、大豆・小麦・塩の調達と、江戸への舟運の便を兼ね備えた、醤油醸造に理想的な土地だった。

寛文元年(1661年)、髙梨兵左衛門(たかなし・ひょうざえもん)が野田で醤油醸造を始める。これがキッコーマンの源流とされる最古の系譜だ。続いて、茂木一族(茂木七左衛門、茂木佐平治、茂木房五郎、茂木啓三郎ほか)、堀切家、髙梨家——野田周辺の有力醸造家が、競合しながらも姻戚関係で結びついていく。

明治維新後の市場拡大期、野田の醤油醸造家たちは互いに競争しつつも、品質規格・販路・対外交渉の場面では協調する慣習を持っていた。それが結実したのが、1917年12月の 「野田醤油株式会社」設立である。茂木一族・髙梨家・堀切家など8家が、それぞれの醸造蔵を持ち寄ってひとつの株式会社を作った。

「8家連合」という設立形態は、世界の食品メーカー史の中でも異例である。所有権は分散しつつ、ブランド「亀甲萬(キッコーマン)」のもとに製品規格を統一し、共同販売・共同調達でスケールメリットを取る。日本の同族企業に多い「一家による単独所有」とも、欧米の株式公開企業とも異なる、第3の構造だった。

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