TOTO——大倉和親と衛生革命
2024年度(2025年3月期)、TOTOの連結売上高は7,245億円。ウォシュレット(温水洗浄便座)の累計出荷台数は6,000万台を超え、日本の一般家庭への普及率は80%以上に達する。海外でも「WASHLET」はプレミアム衛生機器のブランドとして認知され、中国・米国・欧州で急速に販売を伸ばしている。
しかしTOTOの創業は、「便器」が蔑まれていた時代に始まる。1917年、大倉和親(おおくら・かずちか、1875–1955)は「衛生陶器で国民の健康を守る」という使命を掲げ、東洋陶器株式会社(現・TOTO)を設立した。「汚いもの」を扱う事業を、国民の健康と文明化のために選んだ創業者の志が、日本の衛生革命を起こしたのである。
大倉和親——「欧州に負けぬ陶器を」
1903年の衝撃——欧州視察と衛生格差
大倉和親は、日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)の創業者・大倉孫兵衛(おおくら・まごべえ、1843–1921)の長男として生まれた。1903年、28歳の和親は父とともに欧州を視察する。そこで目にしたのは、白く輝く水洗便器と清潔なバスルームだった。
当時の日本では、汲み取り式便所が一般的であり、衛生陶器という概念すら存在しなかった。コレラ、赤痢、腸チフスなどの伝染病が頻発し、不衛生な排泄環境が公衆衛生上の深刻な問題だった。和親は「日本の衛生環境を根本から変えるには、水洗便器の国産化が不可欠だ」と確信する。
しかし衛生陶器の製造は、食器や花瓶の製造とはまったく異なる技術を要した。大型で複雑な形状を歪みなく焼き上げる技術、釉薬の均一な塗布、1,200度以上の高温焼成——いずれも当時の日本の窯業技術では困難だった。
1万回以上の試作——国産衛生陶器への道
1912年、大倉和親は日本陶器内に「製陶研究所」を設立し、衛生陶器の研究開発を開始する。しかし大型陶器の焼成は困難を極めた。焼成中にひび割れる、歪む、釉薬が剥がれる——失敗の連続だった。記録によれば、試作回数は1万回を超えたという。
1914年、ついに日本初の国産腰掛式水洗便器の製造に成功する。しかし和親はこれを「始まり」と捉えた。1917年5月15日、和親は北九州・小倉の地に「東洋陶器株式会社」を設立する。原料(天草陶石)の入手が容易で、燃料(筑豊炭田)が近く、輸出港(門司港)に近い——この立地条件が小倉を選んだ理由だった。
創業時の定礎の辞に、和親はこう記した。「この工場から欧州よりも優れた商品を生み出し、世界へ羽ばたく」。便器メーカーの創業に、これほどの志を込めた経営者は世界にも稀だろう。
ウォシュレット——「おしりだって、洗ってほしい。」
TOTOの歴史で最大の転換点は、1980年の「ウォシュレット」発売である。温水洗浄便座という概念は、もともと米国のAmerican Bidet Companyが開発したものだった。TOTOは1964年にこの技術を導入したが、医療用途にとどまり一般には普及しなかった。
TOTOの開発チームは、これを一般家庭向けに再設計する。最大の課題は「洗浄水の温度と角度」だった。開発者たちは自ら被験者となり、300人以上の社員の「おしりのデータ」を収集して最適な噴射角度(43度)を割り出した。
1980年6月、「ウォシュレット」発売。1982年のテレビCM「おしりだって、洗ってほしい。」(女優・戸川純(とがわ・じゅん、1961年生まれ)出演)は社会現象となり、ウォシュレットの認知度を一気に高めた。「便器のCMをゴールデンタイムに流す」という決断自体が、TOTOの「衛生を文化にする」という創業精神の表れだった。
「きれい」を技術で実現する——現代のTOTO
現在のTOTOは、「きれいと快適と環境」を技術で実現する企業として進化を続けている。「セフィオンテクト」(ナノレベルの表面加工で汚れを防ぐ技術)、「きれい除菌水」(電気分解で生成した除菌水で便器を自動洗浄)、「ネオレスト」(タンクレストイレの最高峰)——いずれも「清潔さ」を追求する技術革新だ。
海外展開も加速している。中国では高級マンションや五つ星ホテルに「WASHLET」が標準装備されるケースが増え、米国ではセレブリティやテック企業経営者の間で「Japanese toilet」がステータスシンボルとなっている。
大倉和親が1917年に掲げた「衛生陶器で国民の健康を守る」という使命は、107年を経て「世界の衛生と快適を技術で変える」へと進化した。「汚いもの」を扱う事業を選んだ創業者の志が、日本のトイレを世界最高水準に押し上げたのである。