Notion——「すべての作業を、自分のかたちで」と願う北米のスタートアップが、京都で再起し、日本企業の働き方を変えるまで

カテゴリー:世界と日本 | シリーズ:先端ビジネスとそのルーツ | 著者:ARBO編集部


はじめに——「タブを15個開く」生活を、終わらせるために

朝、仕事を始めると、ブラウザに次々とタブが増えていく。メールを確認するためのタブ、資料を共有するためのタブ、議事録を書き込むためのタブ、タスクを管理するためのタブ、進行中のプロジェクトの状況を見るためのタブ……気がつけば15枚ものタブが並び、目当ての情報がどこにあるのか、自分でも分からなくなる。

このありふれた風景を「現代の働き方の根本的な誤り」と捉え、それを解こうとしたスタートアップがある。米国カリフォルニア州サンフランシスコに本社を置くNotion Labs, Inc.(以下「ノーション・ラボ」)が運営する、オール・イン・ワン作業空間「Notion」である。2025年9月時点で年間収益5億米ドル(約750億円)を超え、世界の利用者数は1億人を突破した。日本国内でも、株式会社サイバーエージェントやラクスル株式会社、株式会社スマートニュースといった企業から、個人の作家、大学生に至るまで、幅広い層に深く浸透している。

しかし、ノーションが今のような地位を築くまでには、決して平坦ではない道のりがあった。創業から2年で資金が尽き、社員を解雇し、創業者2人だけで日本の京都に移住して再起を図った時期もある。本稿ではまずノーション・ラボという企業の輪郭を丁寧に辿り、その上で、日本社会への定着について2つの異なる見立てを提示してみたい。


第一部:グローバル視点——「ソフトウェアは、自分にあわせて姿を変えるべきだ」という思想

1、Ivan Zhaoの原体験——ブリティッシュ・コロンビア大学で学んだ「思想と道具の関係」

ノーション・ラボの創業者であり、最高経営責任者を務めるのがIvan Zhao(アイヴァン・ジャオ)である。ジャオは1990年に中国・新疆ウイグル自治区のウルムチで生まれ、12歳のときに家族とともにカナダ・ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーへ移住した。バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学で美術と認知科学を専攻したジャオは、そこで「人間の知性は、使う道具によって拡張されたり、縮小されたりする」という主張に出会う。

彼が深く影響を受けたのは、米国のコンピューター科学者Alan Kay(アラン・ケイ)、Doug Engelbart(ダグ・エンゲルバート)、Ted Nelson(テッド・ネルソン)といった、1970年代の「コンピューターの可能性を最大限に引き出そうとした先駆者たち」の思想である。彼らは「コンピューターを単なる計算機ではなく、人間の想像力を拡張する道具にできる」と信じていた。しかし、Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)が米国Xerox Corporationのパロアルト研究所からアイデアを「借りた」ときに、その思想の繊細な部分が失われ、現代のコンピューターは「想像力を拡張する道具」ではなく「決められた作業を効率化する道具」になってしまった——というのが、ジャオの問題意識だった。

「自分が使いたいソフトウェアが、世界のどこにも存在しない」と気づいたジャオは、自分でそれを作ることを決意する。2013年、サンフランシスコでノーション・ラボを共同創業する。共同創業者は、大学時代からの友人で、英国生まれのソフトウェア・エンジニアSimon Last(サイモン・ラスト)。当初の構想は、「誰もが、コードを書かずに、自分専用のソフトウェアを作れる場」を提供することだった。

2、2015年——資金が尽き、京都に移住して再起を図った2年間

しかし、当初のノーションは利用者の支持を得られなかった。製品は技術的に意欲的すぎて、一般の利用者には扱いきれなかった。2015年、ノーション・ラボは資金が尽き、創業から雇った数名の社員を解雇せざるを得なくなった。サンフランシスコの事務所も解約し、ジャオとラストの2人だけが残された。

このとき2人が選んだ次の拠点が、日本の京都だった。これは、ノーションの歴史において決定的な転機となる。Akshay Kothari(アクシャイ・コタリ、後にノーションの共同創業者・最高執行責任者)はノーション・ラボの公式ブログで、ジャオが京都を選んだ理由を次のように紹介している。「日本の文化は、繊細な職人技を尊ぶ。それは、私がノーションに込めたかったすべてを体現していた」。

京都での2人の生活は、文字通り「コードを書くこと」と「ラーメンを食べること」だけだったという。2015年から2017年にかけて、ジャオとラストは京都の小さなアパートで、ほぼゼロからノーションを作り直した。「ブロック」という概念——テキスト、画像、表、データベース、コードといった、ありとあらゆる要素を、レゴブロックのように自由に組み合わせて画面を構築できる——は、この京都時代に生まれた。日本の伝統的な「組子細工」や「茶室の自由なしつらえ」に通じる発想である。

3、2016年から2018年——「ブロック」という新発想と、世界的な利用者共同体の形成

2016年8月、ノーション・ラボはサンフランシスコに戻り、新しいバージョンのノーションを正式に公開した。当初の利用者は、北米のスタートアップやデザイナー、開発者たちだった。彼らの間で、「これは今までのソフトウェアとは何かが違う」という口コミが広がっていった。

2018年3月、ノーションはバージョン2.0を公開し、データベース機能を本格的に搭載した。これにより、利用者は単なるメモ帳としてではなく、プロジェクト管理、顧客管理、社内ウィキ、個人の家計簿に至るまで、あらゆる用途にノーションを使えるようになった。

同年8月、米国LinkedIn Corporationでインドの責任者を務めていたAkshay Kothariが、ノーション・ラボに共同創業者・最高執行責任者として参画した。コタリ自身は後にX上で「私が参画した2018年当時、会社全体の年間経常収益はわずか約100万米ドル(約1億1000万円)だった」と振り返っている。

ノーションの利用者は、特定のマーケティング戦略によって増えたわけではない。利用者自身が「ノーション・テンプレート」を作って共有し、X(旧Twitter)やYouTubeで使い方を発信し、それを見た新たな利用者がさらに広がっていく——この自律的な広がり方が、ノーションを「カルト的な人気を持つ作業空間」へと押し上げていった。同社の発表によれば、利用者の95%は「広告ではなく、知人からの紹介や、口コミで入ってきた」という。

4、2019年から2021年——資金調達と、世界的な急成長

2019年7月、ノーション・ラボは初の本格的な資金調達を実施した。米国の投資会社Index Venturesが主導するシリーズAラウンドで、約1000万米ドル(約11億円)を調達した。

2020年4月、米国の投資会社Index VenturesとSequoia Capitalが共同で主導するシリーズBラウンドで、5000万米ドル(約55億円)を調達。このとき企業価値は20億米ドル(約2200億円)と評価された。新型コロナウイルスの感染拡大による「在宅勤務」「分散勤務」の流れが、ノーションへの需要を急速に押し上げていた時期である。

そして2021年10月、ノーション・ラボは米国の投資会社Coatue ManagementとSequoia Capitalが共同で主導するシリーズCラウンドで、2億7500万米ドル(約310億円)を調達した。このとき企業価値は100億米ドル(約1兆1000億円)と評価された。同社の年間経常収益は、2018年の約100万米ドルから、わずか3年で1000倍に成長していた。

5、2021年10月12日——日本語版の正式公開と、東京拠点の開設

2021年10月12日、ノーション・ラボは日本語版を正式に公開し、同時に東京拠点を開設した。当時、ノーション・ラボの全社員数はわずか58名。それでも、日本市場への投資を本格化させたのである。日本語版の公開を主導したのが、ノーション・ラボの初代APAC担当ジェネラルマネージャーに就任した西勝清(にしかつきよ)だった。

西は当時のブログ記事のなかで、3つの驚きを語っている。1つ目は「これほど小さな会社(当時58名)が、日本市場に本格的に投資しようとしたこと」。2つ目は「日本市場ではすでに英語版で大規模かつ熱心な利用者共同体が形成されていたこと——日本においてこれは極めて珍しい」。3つ目は「ジャオとノーションが、京都での再起という、日本に深い縁を持っていたこと」。

西によれば、日本語版の公開直前の1年間で、日本のデイリーアクティブユーザー(1日に活動する利用者)は4倍に成長していた。当時の主要な企業利用者には、SOMPO Light Vortex株式会社、ラクスル株式会社、株式会社スマートニュースなどが名を連ねていた。

6、2022年から2024年——AI機能の搭載と、戦略的買収による領域拡大

2022年11月、ノーション・ラボは「Notion AI」のアルファ版を一部の利用者に公開した。約10週間にわたる利用者からの意見を反映し、2023年2月22日に正式公開された。これは米国OpenAI, Inc.の言語モデルを基盤としており、ノーションの作業空間内で、文章の要約、翻訳、ブレインストーミング、議事録の整理などを自動的に行えるようになった。AI機能の搭載は、ノーションを「単なる作業空間」から「思考の補助者」へと進化させた。

同じ時期、ノーション・ラボは戦略的な企業買収を進めている。2022年6月、米国のカレンダー・アプリのCron, Inc.を買収。これは2024年1月に「Notion Calendar」として再公開された。2024年2月9日には、暗号化されたメール・ファイル保存サービスを提供する米国のSkiff, Inc.を買収。これは将来的に「Notion Mail」として統合される見通しである。これらの買収により、ノーション・ラボは作業空間(ドキュメント、データベース)から、カレンダー、メール、ファイル管理にまで領域を拡大しつつある。

7、2025年から2026年——年間収益5億ドル突破と、新たな経営局面

2025年9月18日、ノーション・ラボは年間収益が5億米ドル(約750億円)を突破したことを米国CNBCに対して明らかにした。同日、同社は「Notion AI Agent」を新たに公開。これは、利用者の作業空間全体を理解した上で、自律的にタスクを実行する人工知能機能である。

2025年末時点では、ノーションの年次経常収益(ARR)は約40億米ドル(約6000億円)に達したと報じられている。世界の利用者数は1億人を突破し、企業価値は約110億米ドル(約1兆6500億円)と推定されている。創業から12年、京都での再起から10年。米国CNBCの報道では、ノーションは「2025年で最も革新的なクラウド企業」の34位にランクインした。

2026年3月23日には、日本と韓国向けの「データレジデンシー」(顧客データを地理的に当該国・地域内で保管する仕組み)対応を開始した。これは特に、企業利用者が増える日本市場において、政府機関や金融機関などの厳格な情報管理要件に応えるための重要な投資である。同時期、ノーションのコタリは「2026年第1四半期、ノーション日本は完全に絶好調だ」と発信している。


第二部:日本での浸透——「ハイブリッドな働き方」と「個人の生産性」を支える、新しい型

1、なぜ日本企業がノーションを採用するのか——大企業からスタートアップまで

ノーションの日本での広がり方は、極めて特異である。米国Similarwebの調査によれば、日本のソフトウェア・アプリ市場において、ノーションは2025年に前年比43%の成長を記録した。これは日本市場で「最も急成長したアプリ」の一つである。

日本の企業利用者は、2つの大きな潮流に分かれている。1つ目は、伝統的な大企業による「ハイブリッド勤務への移行」のための導入である。SOMPOホールディングス株式会社の子会社であるSOMPO Light Vortex株式会社は、新型コロナウイルス感染拡大以降の働き方の変化に対応するため、ノーションを全社的に導入した。コタリは2025年10月、「日本の企業(SOMPOグループ)から、約100万米ドル(約1億5000万円)規模の単一契約に署名した」と発信している。

2つ目は、日本のスタートアップ企業による「会社の運営基盤としての全面採用」である。ラクスル株式会社、株式会社スマートニュース、株式会社サイバーエージェントの一部部門など、急成長中のスタートアップが、人事制度、製品開発の進捗管理、社内ウィキ、新入社員の研修資料、すべてをノーション上に集約している。これらの企業では、Microsoft Word、Google Docs、Confluence、Slackなどに散在していた情報を、ノーションに統合することで、組織全体の透明性と機動性を高めている。

2、個人利用者の広がり——大学生、作家、独立した専門家

企業利用と並んで、日本でのノーション拡大を支えているのが、個人利用者の急増である。大学生は、講義の整理、研究室の論文管理、就職活動の企業情報のまとめにノーションを使う。作家、編集者、独立した助言者などの専門家は、執筆中の原稿、関連する資料、進行中のプロジェクト管理、すべてをノーション上に集約している。

特に若い世代の間では、自分自身の人生を「データベース」として管理する文化が広がっている。読んだ本、観た映画、行ったレストラン、出会った人、考えたこと——あらゆる情報を、ノーションのデータベース機能で記録し、後から検索したり関連付けたりする。米国メディアでは「セカンドブレイン(第二の脳)」と呼ばれる、個人の知的生産を支える基盤として、ノーションは日本で深く根を下ろしつつある。

3、なぜ日本人がノーションに惹かれるのか——「自由なしつらえ」と「組子細工」の心地よさ

日本でのノーション受容には、いくつかの興味深い特徴がある。

第1に、「自分でかたちを決められる」という自由度。ノーションは、決められたテンプレートを押し付けるのではなく、利用者が自分のニーズに合わせて画面の構造を自由に組み立てられる。これは、日本の伝統的な「茶室の自由なしつらえ」「組子細工の組み合わせの妙」に通じる、繊細で職人的な感覚と相性が良い。

第2に、「すべてが1つの場にある」という統合感。日本の働き方では、「複数の道具を使い分ける」ことよりも、「1つの場にすべてを集約して、全体を見渡せる」ことが好まれる傾向がある。ノーションの「オール・イン・ワン作業空間」という発想は、この日本人の感性に適合している。

第3に、「美しい見た目」という感覚的な満足。ノーションのデザインは、余白、文字の組み方、色の使い方、すべてにおいて極めて洗練されている。これは「機能だけでなく、見た目の美しさも大切にしたい」と考える日本の利用者、特に20代から40代のクリエイティブ職の人々から高く評価されている。

第4に、「日本語版と日本拠点」という安心感。多くの海外発のソフトウェアは、日本語化が不十分であったり、日本でのサポート体制が脆弱であったりする。ノーションは2021年10月以降、日本語版を提供し、東京に拠点を構え、日本市場専用の体制を強化し続けている。これは特に、企業利用者の信頼獲得に大きく寄与している。


第三部:日本での今後——2つのシナリオ

ここからは、ノーションが今後の日本社会でどのような位置を占めていくかについて、性質の異なる2つの見立てを示してみたい。記事の最後で、ARBO編集部としての一つの解釈を提示する。

シナリオA:「日本の働き方の標準的な基盤」として定着する

楽観的な見立てから始めよう。

このシナリオでは、ノーションは日本において、Microsoft 365やGoogle Workspaceと並ぶ「働き方の標準的な基盤」として定着していく。根拠は4つある。

第1に、日本企業のハイブリッド勤務への移行が、不可逆的な流れになっている事実である。2024年から2025年にかけて、日本の大手企業は新型コロナウイルス禍以降の働き方を、完全な対面勤務に戻すのではなく、対面と在宅を組み合わせた「ハイブリッド型」として恒久化する方針を相次いで発表した。この変化を支えるためには、「どこからでも、同じ情報空間に入れる」という統合的な基盤が不可欠であり、ノーションはその有力な選択肢となる。

第2に、世界的な年間収益5億米ドル突破という規模感が、日本企業の経営層に「安心感」を与えていることである。日本の大企業は、「世界的に実績のあるソフトウェア」を選好する傾向が強い。ノーションが世界で1億人の利用者を抱え、米国CNBCで「2025年で最も革新的なクラウド企業」に選出された事実は、日本の企業情報システム部門の意思決定者にとって、大きな後押しとなる。

第3に、AI機能との統合である。「Notion AI Agent」は、利用者の作業空間全体を理解した上で、自律的にタスクを実行する。これは、日本企業が抱える「人手不足」「働き方改革」という構造的な課題に対する、極めて有力な解決策となりうる。日本の労働人口が継続的に減少するなかで、AIによる業務の自動化は不可避であり、ノーションはその推進役として位置づけられる。

第4に、データレジデンシー対応の完了である。2026年3月の日本データレジデンシー対応は、これまで「海外サーバーへのデータ保管」を理由にノーションの導入を見送っていた金融機関、医療機関、政府関連組織などからの採用を可能にする。これは、ノーションの日本市場における裾野を、一気に広げる動きとなる。

このシナリオが現実になるならば、ノーションは2028年頃までに日本の主要企業の30%から40%に導入され、日本の働き方を支える「標準的な基盤」として定着することになるだろう。

シナリオB:「特定層の偏愛アプリ」にとどまる

一方で、慎重な見立ても示しておく必要がある。

このシナリオでは、ノーションは現在の利用者層を維持するものの、Microsoft 365やGoogle Workspaceの覇権を覆すほどの広がりは見せず、創造的な専門職や先進的なスタートアップを中心とした「特定層の偏愛アプリ」にとどまる。理由は同じく4つ挙げられる。

第1に、Microsoft Corporationが提供するMicrosoft 365との競争の厳しさである。日本企業の大多数は、すでにMicrosoft 365を採用している。Microsoft Word、Microsoft Excel、Microsoft PowerPoint、Microsoft Teams、Microsoft Outlookという統合的な作業環境が、日本企業の働き方の基盤として深く根付いている。Microsoftは2024年から「Microsoft Copilot」というAI機能を全製品に統合しつつあり、ノーションがこの牙城を崩すのは容易ではない。

第2に、ノーション自体の「学習曲線の急峻さ」である。ノーションは自由度が高い反面、「何でもできすぎる」がゆえに、初めて使う利用者にとって、何から手を付けてよいか分からないという問題がある。日本の中小企業や、ITに不慣れな従業員が多い組織では、この学習負荷が導入の障壁となる。

第3に、競合製品の台頭である。米国Atlassian Corporation Plcが提供する「Confluence」、米国monday.com Ltd.が提供する「monday.com」、米国Airtable, Inc.が提供する「Airtable」、米国ClickUp, Inc.が提供する「ClickUp」など、ノーションと類似の機能を持つ製品が次々と登場している。日本市場でも、株式会社ヌーラボが提供する「Backlog」、サイボウズ株式会社が提供する「kintone」など、日本企業の文化に深く適応した国産ソフトウェアが根強い支持を得ている。

第4に、企業情報システム部門の保守性である。日本の大企業の情報システム部門は、「新しいソフトウェアを導入することによるリスク」を極めて慎重に評価する傾向がある。データの安全性、長期的な事業継続性、契約条件、サポート体制——これらのすべてにおいて、ノーションのような比較的新しい企業のソフトウェアを採用するハードルは、依然として高い。

このシナリオが現実になるならば、ノーションは2028年頃までに日本市場での利用者数を現在の2倍程度(推定で500万人前後)まで広げるものの、「日本の働き方の標準的な基盤」までは到達せず、「先進的な企業や創造的な個人が選ぶ、こだわりの作業空間」という独自の地位を維持することになるだろう。


ARBOの見解——日本の働き方の「標準的な基盤」になる蓋然性は高い

2つのシナリオを並べた上で、ARBO編集部としての現時点での見立てを示したい。

我々の見方は、シナリオAに大きく寄っている。すなわち、ノーションは2020年代後半から2030年代にかけて、日本においてMicrosoft 365やGoogle Workspaceと並ぶ「働き方の標準的な基盤」の1つとして定着する、と見ている。

そう考える最大の理由は、ノーションが解こうとしている課題が、日本企業が今まさに直面している経営課題と、極めて高い精度で重なっているからである。日本企業はいま、ハイブリッド勤務への恒久的な移行、慢性的な人手不足、AIによる業務自動化への対応、世代間のITリテラシー格差、データ主権への要請という、5つの課題を同時に抱えている。ノーションが2025年から2026年にかけて打ち出してきた一連の動き——Notion AI Agentの公開、戦略的買収による領域拡大、日本データレジデンシー対応、東京拠点の継続的強化——は、これら5つの課題のすべてに正面から対応している。これは偶然ではなく、日本市場を「最重要市場の1つ」と位置づけた経営判断の結果と読める。

さらに、ノーションは日本企業の文化的な特性とも深く響き合う。日本の組織は伝統的に、「会社全体」と「個人」の中間に、「課」「プロジェクト・チーム」「事業部」といった中間共同体を置き、その中間共同体の自律性と凝集性を重視してきた。ノーションは、この中間共同体が「自分たちの作業空間を、自分たちのかたちで作る」ことを可能にする。Microsoft 365が「会社全体の統制」を、個人向けアプリが「個人の自由」を支えるとすれば、ノーションは日本企業がもっとも重視してきた「中間共同体の自律」を支える唯一の本格的な基盤である。これは、Microsoftが容易に追随できない構造的な強みである。

もちろん、シナリオBが指摘するMicrosoft Copilotとの競争、学習曲線の急峻さ、企業情報システム部門の保守性といった懸念は実在する。しかし、これらは「ノーションが日本に根付かない理由」ではなく、「ノーションの定着のスピードを多少緩める要因」と捉えるべきである。とりわけMicrosoft Copilotとの関係は、二者択一というより、「Microsoft 365で会社全体の統制を取りつつ、ノーションで創造的な業務やプロジェクトを動かす」という併用が日本企業の標準形になっていく可能性が高い。実際、現時点でラクスル株式会社、株式会社スマートニュース、SOMPO Light Vortex株式会社といった先行導入企業の多くは、Microsoft 365とノーションを併用している。

この見立てを支えるもう1つの根拠は、世代交代である。20代から30代の若い世代は、大学生時代からノーションを「セカンドブレイン」として使い、自分の知的生産の基盤としてきた。彼らが30代後半から40代に入り、職場で意思決定の中核を担う2030年代には、ノーションを業務基盤として採用することへの心理的抵抗は、ほぼ消滅する。Microsoft 365が1990年代から2000年代の働き手とともに普及していったのと同じ構造が、ノーションを軸に2020年代から2030年代に再現される蓋然性は高い。

注視すべき3つのポイント

向こう1年から2年、ARBO編集部が特に注目していく観点は次の3つである。

1つ目は、Notion AI Agentの実用度と、日本企業での採用度合いである。AI機能の精度、日本語対応の品質、業務との統合のしやすさ——これらが日本の業務環境で十分な水準に達するかどうかが、ノーションの今後を大きく左右する。

2つ目は、Microsoft Copilotとの直接対決の行方である。Microsoft 365に統合されたCopilotと、独立した作業空間であるノーションのどちらが、日本企業の「AI時代の働き方」の主流となるか。両者の競争は、今後数年の日本企業の選択を決定づける。

3つ目は、**日本の新しい世代の働き手による「ノーションを軸にしたキャリア形成」**である。20代から30代の若い世代が、自分の知的生産の基盤としてノーションを使い続け、それを職場でも自然に活用するようになれば、ノーションは日本の働き方に深く根を下ろすことになる。「セカンドブレイン」としてのノーションが、世代を超えた習慣として定着するかどうかに、注目したい。


ノーションという小さな作業空間は、ソフトウェア産業の歴史において、決定的な革命者ではないかもしれない。しかし、京都という、極東の小さな都市で再起した北米のスタートアップが、わずか10年で世界の1億人の働き方を変え、そして今、その京都を含む日本という地に深く根を下ろし始めている事実は、極めて示唆に富む。「自分のかたちで仕事をしたい」「組織と個人の中間で、機動的に動きたい」——そうした現代人の願いに、ノーションは静かに、しかし確実に応えつつある。我々はこの先も、この「日本との縁」が、どのような形で深まっていくのかを、注意深く見守っていきたい。



本稿は2026年5月時点の公開情報に基づいて執筆されました。最新の数値は変動する可能性があります。