主人公の名前を日本人に変えた男——AIの学習データと、明治の翻案が問う「誰の作品か」

カテゴリー:世界と日本 | シリーズ:先端ビジネスとそのルーツ | 著者:ARBO編集部

はじめに——万朝報に載った、名前の無い原作者

明治の新聞『万朝報』に、探偵小説が連載されていた。主人公は日本人の名前を名乗り、舞台は東京に移されている。原作がどこの国の、誰の作品だったのか。紙面のどこにも書かれていない。

たとえば今、生成AIが書いた文章を読んでいるとする。その文体のどこかに、誰かの原稿が混じっているかもしれない。だが出力のどこにも、その誰かの名前は出てこない。

この二つの場面は、100年以上隔たっている。だが問いは驚くほど似ている。名前が消えるのは、技術が追いついていないからなのか。それとも、名前を残す仕組みに誰も金と手間を払っていないだけなのか。

第一部:EUが求めているのは「誰の作品か」ではない

作家と新聞社が起こした集団訴訟

2023年12月、The New York Times CompanyがOpenAI, Inc.とMicrosoft Corporationを著作権侵害で提訴した。学習データに自社記事を無断で使われ、出力がその表現をそのまま再現する場合があると訴えている。

作家たちの動きも止まらなかった。作家グループが起こしたBartz対Anthropic, PBC訴訟は、2025年9月に和解が成立した。金額は約15億ドル。対象となった作品はおよそ50万件、1冊あたり約3,000ドルにあたる。著作権をめぐる集団訴訟としては、過去最大級の和解額とされている。

ただし2025年6月の一部判断は、もう少し込み入っている。連邦地裁のWilliam Alsup判事は、合法に取得し電子化した書籍でAIを学習させる行為そのものは、公正利用にあたると認めた。一方で、海賊版由来とされる約700万冊の扱いは、別に争われたままだ。学習してよいかと、どこから手に入れたデータかは、切り分けて争われている。

「AIが作った」と「誰が作ったか」は、別の問いである

こうした訴訟の隣で、規制も動いている。EUのAI法(Regulation (EU) 2024/1689)は2024年8月に発効した。その第50条は、生成物に「AI製」の印を機械可読の形でつけるよう求めている。適用は2026年8月2日から始まる。

ここで見落としやすい点がある。この開示義務は、学習データの出所や原作者の名前を名指しする仕組みではない。生成物が「AIが作った」ものだと示す、その一点だけを求めている。学習に使った誰かの表現が誰のものかは、この規則の対象外だ。

中国はすでに一歩先を行く。国家インターネット情報弁公室は規則を定めた。この規則は2025年9月1日に施行され、AIが生成・合成したコンテンツへの明示的な表示と、目に見えない形のメタデータ表示の両方を義務づけている。

人間が関わった部分だけを守るという線引き

米国著作権局は2025年1月、AI生成物の著作物性についての報告書を公表した。人間の創作的な関与が足りない部分は、著作物として保護しないという立場である。同年3月には、連邦控訴裁判所(D.C.巡回区)がThaler対Perlmutter事件で、AI自身を著作者として登録できないとする著作権局の判断を支持した。AIが出した部分は、誰の権利にも属さない領域に置かれている。

法や訴訟が追いつくより先に、業界側が自主的な仕組みを作った例もある。C2PA(Coalition for Content Provenance and Authenticity)は2021年に発足した。Adobe Inc.やMicrosoft Corporationなどが立ち上げ、Content Credentialsという来歴表示の規格を策定している。その後OpenAI, Inc.やAlphabet Inc.、Meta Platforms, Inc.も対応を表明している。法の施行を待たずに、事実上の標準として広がりつつある。

Getty Images (US), Inc.がStability AI Ltd.を訴えた英国の裁判では、2025年6月、学習行為そのものへの主要な請求が取り下げられた。学習がアメリカのサーバーで行われており、英国の管轄が及ばないためだった。国境をまたぐ学習に、一国の裁判所がどこまで手を伸ばせるのか。この訴訟はその限界も映し出している。

第二部:主人公を日本人の名前に変えた男

涙香が『万朝報』でやったこと

黒岩涙香(くろいわるいこう、1862年〜1920年)は、自分が興した新聞『万朝報』に、外国の探偵小説を次々と翻案して連載した。原作の筋を大胆に切り詰め、登場人物の名前を日本人風に置き換え、舞台も東京や横浜に移してしまう。原作者への断りも、対価の支払いも挟まないまま、西洋の物語は驚くほど安く、そして速く日本語になっていった。

1880年代から1890年代にかけて、この手法は涙香一人の芸当ではなくなっていた。新聞各紙が競うように翻案連載を載せ、ひとつの産業として回り始めている。読者は物語の出どころを気にしなかった。日本の名前と日本の風景に置き換えられているからこそ、むしろ読みやすかったのかもしれない。

名前を記す仕組みが、まだ無かった時代

翻案が野放図に見えるのは、涙香が特別に不誠実だったからではない。福沢諭吉(ふくざわゆきち、1835年〜1901年)が1872年に著した『学問ノスゝメ』も、西洋の議論を大胆に取り込んでいる。当時の日本には、原著者に払う仕組みも、名前を記す様式も、そもそも用意されていなかった。

名前の出どころを記す発想そのものが、制度としてまだ存在していない。涙香を責めるのは、だから筋が違う。彼が生きた時代の日本には、翻案を止める法律も、原作者を探し出す手間をかける動機も、どちらも無かったのだ。

1899年、法が翻訳者に権利を与えた

転機になったのは1899年の著作権法(明治32年法律第39号)である。この法は翻訳者に、独自の著作権を認めた。同時に、原著作者の名前を表示するよう法の側から求めてもいる。

この二重の作りが効いた。翻訳者は自分の仕事を権利として主張できるようになった。だからこそ、原著者の名を出す手間も、業界がのみ込める負担として成立したのである。片方だけを義務にする制度は、たぶん誰も守らなかった。

第三部:名前を残す費用を、誰が払うのか

出力から遡るのは難しい。だが入り口では違う

学習済みのモデルから、どの出力にどのデータがどれだけ効いたかを、あとから突き止めるのは確かに難しい。技術的な壁は今も高い。だが、学習させる前の段階で、何を読み込ませたかを記録することはできる。

にもかかわらず、その記録はほとんど取られていない。理由は技術ではない。記帳の費用を、誰も負っていないからだ。C2PAのような表示の規格が広がっても、それは出力が「AI製」だと示すだけで、学習元の名前までは運ばない。

明治の教訓は、片方だけを縛らないこと

1899年の著作権法が示した教訓は、「原著者の名を出せ」という命令だけではない。翻訳者にも権利を与えた、その順序にある。変換する側の取り分を先に保証したからこそ、原著者への表示という手間を、業界が受け入れられたのだ。

この法律には、もう一つの背景がある。日本がベルヌ条約——外国の著作物もお互いに守ろうという国際的な取り決め——に加盟するための条件でもあった。国内の都合だけでは動かなかった配分が、外からの圧力で動いている。

いまのAI規制にも、似た構図が見える。EUの開示義務が先に走り、中国はすでに実施段階に入った。ルールがまだ揃っていない領域で、開示という一点だけが先に固まりつつある。

涙香の翻案は、日本語の文体そのものを作り替えた。断りの無い変換が、結果として文化を豊かにした側面までは消せない。ただ、それを認めたうえでなお、対価と記帳をどこに挟むかという設計は、まだ誰も決めていない。

ARBOの見解——表示だけが整い、作り手は匿名のままになる

三つの道筋が考えられる。ひとつは、学習の入り口で出所表示が標準化し、記帳の費用がモデル提供者側に配分される道である。この場合、帰属は技術ではなく会計の問題として決着する。

もうひとつは、大手の権利者だけが包括契約で対価を得て、個人の作り手には名前も金も届かない道だ。そして三つ目は、開示義務がEU域内の形式要件として固まり、AI製だと示す表示だけが残り、元の作り手は最後まで匿名のままの道である。

編集部が最も起こりやすいと見るのは、三つ目の道筋だ。ただし、それは望ましい着地ではない。

明治の著作権法が示した順序を思い出したい。原著者の表示を先に義務づけたのではなく、翻訳者に権利を与えたからこそ、表示という制度が回り始めた。作り手への帰属を実現したいなら、モデル提供者から権利を取り上げる方向では、たぶんうまくいかない。入り口での記帳を義務づけ、その費用を価格の中に織り込ませる設計こそが要る。技術の成熟を待つ議論は、実のところ時間稼ぎとして機能しているだけかもしれない。

注視ポイント——今後12〜24カ月のシグナル

  • EU AI法の透明性条項について、実施指針が「AI生成の事実」だけを求めるのか、学習データの出所にまで踏み込むのか。その文言の細部
  • 米国著作権局の登録運用で、人間の寄与とAIの寄与を分ける線引きが、どの水準で固まっていくか
  • 大手モデル提供者が学習データの記帳ログを外部監査に開くのか、それとも出力側の表示だけにとどめるのか

参考文献

  • U.S. Copyright Office「Copyright and Artificial Intelligence, Part 2: Copyrightability」(2025年1月29日)
  • United States Court of Appeals for the District of Columbia Circuit, Thaler v. Perlmutter判決(2025年3月18日)
  • Reuters「Anthropic to pay $1.5 billion to settle authors' copyright lawsuit」(2025年9月)
  • United States District Court, Northern District of California, Bartz v. Anthropic, PBC 訴訟命令(2025年6月)
  • European Commission, Regulation (EU) 2024/1689(Artificial Intelligence Act)第50条(2024年8月1日発効)
  • 国家互联网信息弁公室「人工智能生成合成内容标识办法」(2025年9月1日施行)
  • The Verge, Getty Images v. Stability AI訴訟に関する報道(2025年6月)
  • Coalition for Content Provenance and Authenticity(C2PA), Content Credentials概要
  • United States District Court, Southern District of New York, New York Times Company v. OpenAI, Inc. and Microsoft Corporation 訴状(2023年12月27日)
  • 日本法制史学会「明治憲法体制下の著作権法制定過程」
  • 国文学研究資料館「明治期の翻訳文化と著作権」
  • 早稲田大学出版部「黒岩涙香と『万朝報』における翻案翻訳の実践」