ソフトバンクグループ——孫正義の「300年ビジョン」とAI革命への賭け
はじめに——純利益5兆円、AI時代の投資帝国
2026年3月期、ソフトバンクグループの連結純利益は約5兆円に達した。ビジョン・ファンドの投資利益が大きく貢献し、特に2026年1〜3月期のビジョン・ファンド投資利益は3兆807億円を記録している。保有株式価値(NAV)は32兆円を超え、LTV(純負債/保有株式価値)は17%まで改善、手元流動性は3.5兆円に達する。
しかし、ソフトバンクグループの本質は「通信会社」でも「投資ファンド」でもない。孫正義(そん・まさよし、1957–)が一貫して追求してきたのは、「情報革命の最前線に立ち続ける」ことだ。ソフトウェア流通からインターネット、モバイル通信、AIへ——時代の技術パラダイムが変わるたびに、ソフトバンクは自らを再定義してきた。
この企業を理解するには、従来の産業分類を捨てなければならない。ソフトバンクグループは「業種」ではなく「時代の波」に賭ける企業である。そして今、孫正義が見据えるのは、人間の知能を超える人工超知能(ASI)の時代だ。
孫正義——在日韓国人三世の起業家
佐賀から渡米、そして帰国
孫正義は1957年、佐賀県鳥栖市の在日韓国人家庭に生まれた。本名は安本正義。祖父の代に韓国から渡日し、父・孫三憲は鳥栖駅前で焼肉店やパチンコ店を営んでいた。幼少期は差別と貧困の中で育った。
しかし孫は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に感銘を受け、「自分も志を持って生きる」と決意する。高校1年で渡米を決意し、16歳で単身カリフォルニアに渡った。セラモンテ高校を経て、カリフォルニア大学バークレー校で経済学とコンピュータサイエンスを学ぶ。
在学中、孫は自動翻訳機を発明する。多言語の音声を自動翻訳するこの装置を、シャープに1億円で売却した。さらにゲームソフトの輸入販売で資金を蓄え、在学中に既に億単位の資産を築いていた。1980年に帰国した孫は、23歳にして「デジタル情報革命が世界を変える」という確信を持っていた。
「人生50年計画」
孫正義は19歳の時に「人生50年計画」を立てたと語っている。20代で名乗りを上げる(起業する)、30代で軍資金を貯める(1,000億円規模の資金を蓄える)、40代で一勝負する(大きな事業に打って出る)、50代で事業を完成させる、そして60代で次の世代に引き継ぐ、という計画である。
この計画は、驚くほど正確に実現されている。20代で創業し、30代でソフトウェア流通と出版で基盤を築き、40代でインターネットとモバイルに賭け、50代でビジョン・ファンドを立ち上げた。孫の経営は、この長期計画に基づく「逆算の経営」である。
1981年——日本ソフトバンク設立
1981年9月、孫正義は福岡市で「株式会社日本ソフトバンク」を設立する。事業内容はパソコン用パッケージソフトウェアの流通(卸売)だった。資本金は1,000万円。
当時の日本では、パソコンが普及し始めたばかりで、ソフトウェアの流通網が未整備だった。米国のソフトウェアメーカーは日本市場に参入したいが、販路がない。日本のパソコンショップはソフトを仕入れたいが、どこから買えばいいかわからない。孫はこの情報と流通のギャップを埋めるビジネスを始めた。
創業時のエピソードとして有名なのが、社員2名(アルバイト)を前に「将来、売上を豆腐のように1兆(丁)、2兆と数える会社にする」と宣言し、二人とも辞めてしまったという話だ。しかし孫の「大ぼら」は、40年後に現実となる。
出版事業とパソコン雑誌
ソフトウェア流通で基盤を築いた孫は、1982年にパソコン雑誌の出版に進出する。『Oh!PC』『Oh!MZ』などの雑誌を次々と創刊し、パソコン文化の普及に貢献した。出版事業は安定した収益源となり、後の大型投資の「軍資金」を蓄える役割を果たした。
インターネット革命——Yahoo! JAPANとブロードバンド
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