オランダ通詞という職能——「訳す」を世襲した長崎の専門家集団

イヤホン一つで言葉の壁が越えられる時代になりつつある。翻訳は、もはや特殊な技能ではなく、機器が肩代わりする日常の機能になろうとしている。だが、かつて「訳す」という行為は、限られた専門家集団が家業として独占し、世襲によって継承する、きわめて重い職能であった。鎖国下の長崎で、日本と西洋世界の唯一の言葉の窓口を担った「オランダ通詞(つうじ)」たちである。

出島の門に立つ言葉の番人

江戸幕府は、長崎の出島でオランダとの交易のみを西洋に対して開いていた。そのオランダ商館と日本側とのあいだのあらゆる意思疎通を担ったのが、オランダ通詞である。彼らは単なる通訳ではなかった。貿易の交渉、商館員の監視と応対、提出される文書の翻訳、そして幕府への報告まで、対オランダ業務の全般を取り仕切る、語学に通じた専門の役人であった。

通詞には大通詞・小通詞をはじめとする厳格な職階があり、その職は特定の家系に世襲されるのが原則だった。語学の能力は、学校で誰もが学べるものではなく、家の中で親から子へ、実務を通じて受け継がれる「家の技」であった。幼少期から商館に出入りし、オランダ語の発音や語彙、商務の慣行を体で覚えていく。「訳す」能力は、個人の資質であると同時に、一族が代々蓄積し守ってきた資産だったのである。


この記事の続きは会員限定です。