素読——意味より先に、身体へ刻む学び
AIによる学習は、理解と効率を何より重んじる。わからないところを特定し、最短距離で「わかる」へ導こうとする。だが日本の伝統的な学びには、意味の理解を先送りにし、まず声に出して繰り返し、身体に刻み込むという方法があった。「素読(そどく)」である。それは、「わかる」より前に「身につける」ことを重んじた、独特の学びの作法であった。
意味を解かず、ただ読む
素読とは、漢文などの古典を、その意味の解釈を加えずに、声に出して繰り返し読むことである。江戸時代の教育において、子どもはまず、論語をはじめとする古典を、内容の理解を求められないまま、ひたすら音読した。「子曰く……」と、師の後について、あるいは独りで、繰り返し声に出す。意味がわからなくともよい。まずは、文字と音とリズムを、身体に染み込ませることが目指された。
現代の学習観からすれば、これは奇妙に映るかもしれない。意味もわからずに暗唱して、何になるのか、と。だが素読の背後には、明確な考え方があった。幼いうちに、優れた古典の言葉を身体に刻んでおけば、それは生涯にわたって心の奥に残り続ける。そして成長し、人生の経験を重ねるなかで、かつて意味もわからず暗唱した言葉が、ある日ふと、深い意味とともに立ち現れてくる。素読は、その日のための種まきだったのである。
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